心の傷の嘘-子供の顔色を窺うな-

子供の感情を斟酌しすぎる親たち

 

子供に注意したり、厳しい態度をとることをためらって躾けるべきことを伝えられず躊躇している家庭があります。どうしてこういうことになるかと言うと、多く見受けられるのが子供の反応を気にするあまり、子供の感情を害しそうなことを言えなくなっている、というものです。

自分が嫌われたくない、というのと並んで親が気にしているのは、叱ることで子供の心に傷がつくのではないか、ということのよ

泣いてる子供うです。また、子供を叱って傷をつけることを避ける、という消極的な姿勢のみならず、子供の感情をどんなことでも受け止めてあげるの

が良い育児だと信じている親がいます。子供のことを何でも積極的に許容するのが良

い育児であると考える家庭もあるようです。

子供が欲求不満を感じていることに対しての耐性が低いのです。

 

心の傷なんて無い

こんな風に物を考える前提となっているのが、当の親が自覚するしないは別として「心の傷が癒える、傷をつけない」という「心の傷」という考え方です。

子供が求めている対応をしないと心の心が傷ついてしまい、それによって良くないことが起こるのではないかと不安になるのです。

しかし、それは本当なのでしょうか?

江戸時代の日本人がそんなことを考えていたとは思えません。それでもちゃんとした育児をしていたと思います。こういう考え方が日本に蔓延したのはフロイト心理学の影響でしょう。その結果がどのようなものであったのかはアドラー心理学の育児学習プログラムの中でお話しさせていただいているのでここでは繰り返しません。

心の機能不全に見える状態は存在します。しかしそれは本当は心の傷という理屈で説明されるのがふさわしい現象ではないと思います。

 

もしかしたら専門家の方がこの文をお読みになって反感を持たれる方もいるかもしれませんが、ベトナム戦争ではなぜPTSDが大量に発生したのに大東亜戦争終戦後のシベリアや南方からの日本の復員兵にはほとんど(皆無とは言わないが)見られなかったのか考えてみて欲しいと思います。ここではそれ以上触れませんので。学会が機能していなくて報告されてないのでは?と回答される方が多々いますが、ちゃんと機能してましたよ。

 

子供をどのように躾けるのが良いのか?

親子関係はきょうだい関係とも複雑に絡み合い、その中で子供は自分の利益が最大になるように振る舞おうとします。倫理的な判断はそこには介在しませんし、将来の見通しに照らした判断もありません。

もし親が心の傷を信じて子供を扱うと、子供はその機微を悟って自分との関係の中で大人のその部分が弱みになることを学んでうまく自分と親との関係の中で有利になるように用いるでしょう。

このような子供の操作に大人はとても抗いがたいものです。自分の信じている価値観の弱点を逆手に取ってきますから。そして子供はその結果がどのようなものであるのかも見越しているのです。無意識的にですが。

昔は経済的に現代よりはるかに苦しかったため、家庭の中で子供がわがままにふるまうことも少なく(子供も状況がわかっていたでしょうし)親にも子供を甘やかす余裕がなかったことから必然的に子供に協力的に振る舞うことを学んでもらう環境が今よりは整っていたように思いますが、現代では環境は改善し、子供の数は少なくなり、しかも親には余計な知識にアクセスできるという状況が整っています。

子供に人々と協力して生活することを教えそこなうと自分の利益を中心に物を考える人へと育ちます。それは「したいこと・したくないこと」をもとに物を考える人です。

アドラー心理学では健康な人とは「したいこと、したくないこと」によってではなく「すべきこと、してはならないこと」に則って行動できる人だと考えます。の傷などを気にするよりなら、ちゃんと躾けられないことの有害さを恐れるべきなのです。

子供の心のありようを気にするあまり身動きが取れなくなるよりは、親は最初に大きな筋を通して、目先の子供の反応がどうであれ、そこからぶれないでいることが一番良いのです。

団らん

 

Passageではどのように親が子供と関わるのが良いかということについて具体的なトレーニングを体験して頂けます。

 

この記事はアドラー心理学の知見をもとに書かれています。

 

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