ADHDという診断の胡散くささ

注意欠陥多動性障害、それ本当なの!?

 

日本の教育現場ではここ10年程度のことでしょうか。発達障害(正しく広汎性発達障害と言って欲しいのですが。知的、身体的発達障害も発達障害ですから)という言葉が独り歩きしています。

お陰でちょっと素行がよくなかったり反抗的だったりすると素人教師が発達障害では?と言い出したり、経験の乏しい医師が広汎性発達障害の診断を下したりとめちゃくちゃです。

さて、広汎性発達障害と併発しやすい症状の中にADHDというものがあります。

他のHPやブログなどでも話題になってきましたが、アメリカでの発症率が9%であるのに対してフランスでは0.5%の発症率だと言われています。

またADHDの提唱者自身が注意欠陥多動性障害(ADHDの和名)が製薬会社の思惑などからその影響下にある医師によって過剰診断されていることが指摘されています。

統合失調症という精神病がありますが、この場合の発症率は0.9~1.2%であり、時代や文化によってそのパーセンテージが影響されないと言われています。つまりADHDがどれだけ当てにならないか、ということが他の精神疾患との比較からも指摘できるのです。

ADHDとは何なんでしょうか?本当にそんなものがあるのでしょうか?

 

DSMのもたらした問題点

伝統的に日本の精神医学はドイツ精神医学の流れを汲んできたのですが、敗戦後アメリカの精神医学に大きく影響を受けるようになります。

そしてアメリカ精神医学協会は精神医学的診断の便を図れるよう、診断をマニュアル化できるように制定しました。それがDSM(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders)です。

 

ドイツ精神医学にはあった節操を無視するマニュアル文化アメリカの精神医学

かなり単純化した説明をしますが、私たちが発熱したとしても実は風邪だったり、肺炎だったり、結核だったりと熱の背後に存在している病気の本質を明らかにしなければなりません。

ドイツ精神医学ではそのようなものの見方をしていました。しかしそれには診断の腕に熟練しなくてはならないし、診断が難しく職人芸的になることも否めませんし、診断の難しい患者を見たときに複数の専門家がそれぞれ違う診断をしかねない、という難しさがありました。アメリカ人はこのような煩瑣なことを嫌い、能率的にしたかったのだと思いますが、アメリカ精神医学ではチェック項目を満たしたらこういう病気、という診断のつけ方をするようになりました。

これは結核も肺炎も熱が出たから「熱病」と診断するような乱暴さに映るのです。実際「大うつ病」の診断には何でも当てはまっちゃう、などと医師に呆れられています。

病の表面にあらわれている特徴の身に焦点をあて、今まで内部に隠されているであろう本質への洞察、という部分をすっかり切り捨ててしまうことにしたのです。

そうするともはやADHDは先天的な脳の不調なのか心理社会的な後天的な問題であるのかわからないのです。

 

製薬会社と医師の癒着

アメリカ人はお金が大好きな人たちです。子供が将来金持ちになる、というとなんてしっかりした子だろう、という評価がもらえます。初対面で職業を聴かれたとします。そうしてその次にその職業は儲かるのか?と尋ねたりするような人たちです。彼らはお金への関心が露骨であっても恥じない文化の人たちです。

アメリカでは今家電メーカーがありません。合理的と言えば合理的ですが、他から輸入した方が安くて性能がいいということです。ですが自分の社会の仕組みを守ろうとはあまり思っていないようです。

こんな社会で売り物になるのが現在のところ、農作物、兵器、保険金融商品、そして薬なのです。

 

DSMの制定に関わる委員の50%が何らかの形で製薬会社と関係を持っています。金銭的な関係も深いでしょうし、そこに何らかの見返りが求められているであろうことは想像に難くありません。

製薬会社は多くの人を何らかの病気と定義して自分たちの商品が売れればこれほど嬉しいことは無いのです。そのためにはちょっとしたことも大げさに取り立てて薬を飲ませるのはいい方法でしょう。

 

舶来物を疑わない日本のドクターと権威を妄信している日本の臨床心理士

このような無邪気に信じるにはあまりに問題の多いDSMですが、古い教育を受けているドクターの中には用心深く付き合っている人がいる反面、何の疑いもなく利用している医師も多いように見受けられます。

臨床心理士にしても精神医学はもともと専門ではありませんし、世の中が採用している基準から疑ってかかるほどの権威への懐疑やインテリジェンスを持ち合わせている人の数もそんなに多くは無いでしょうし、一度出来上がってしまったものの見方(認知バイアス)から離れて現象を観察するのは至難の業です。

多くのカウンセラーが疑うこともなくADHDやその他の問題のある概念を鵜呑みにして仕事しているのが現状だと思います。

医師の訓練不足

精神科のドクターにとって相手にしなくてはならなかったのは、長い事うつ病、統合失調症、神経症、などと言った疾患でした。

それが比較的最近になってから広汎性発達障害というジャンルが現れ、それに対応せざるを得なくなってきたのです。十分に訓練を受けていないドクターがDSMに基づいて安易な診断をしている例は多いように思います。

まして広汎性発達障害やADHDは最近需要があるので患者を増やすには悪くはないアイディアです。

本当に専門的な訓練をしていらっしゃるドクターももちろんいらっしゃいます。

児童精神医学が手に入れたナワバリ

児童精神医学は扱っている対象が脳の発達の完成する以前の子供たちで成人の精神医学に比べて非常に対象の不明瞭なものを相手にしているようなところがあるように思います。

これが老人精神医学であれば明確に「認知症」という専門性が確立されているのと対照的です。

しかし広汎性発達障害やADHDが認められるに及んで児童精神医学のよりどころとなる専門性が確立されることとなったのです。この領域に対して活動を活発化していくのは当然の成り行きであったことでしょう。

教育現場の暴走

公教育の現場でも子供の素行の悪さが目立っています。そしてその原因をADHDに求めたりするのです。DSMでは表面に現れた症状の総和で判断されるのでそれが躾けの失敗であってもそのように判断されてしまいかねないのです。

また特別支援教育(障害児教育)の担当教師が熱心に勉強するあまり学校内で小さなドクターのように管理職から意見を求められたりすることもあります。

そばで見ていたこともありますが、どんなに勉強しても彼らは教育のプロではありますが精神医学領域では素人で、なまじ勉強したことによって発生している弊害は物凄いものがあります。

勿論彼らは投薬などはしないのですが、学校や保護者に与える偏見の助長は正視しかねます。

 

だったらどう考えたら良いのか?

このように世界的にも我が国においてもADHDをめぐる処遇は問題だらけです。個々のケースによりその実態はまちまちではありましょうが、アメリカで9%なのにフランスでは0.5%である、ということはもしかすると8.5%のADHDに見える子供の振る舞いは実は心理社会学的な問題である可能性を疑うべきでしょう。

確かに服薬のあった方がいいかもしれないと思うケースはあります。しかし本来必要のない子供にまで服薬させるのが良いわけがありません。

また服薬の必要があってもなくても子供とどう付き合っていくかは親にとって大きな問題であるはずです。変えられない部分については受け入れなくてはなりませんが変えられる部分、つまり親の認識やコミュニケーションをどうするかは依然として大きな問題です。

往々にして親は子供の障害の性質やその有無につての関心は高いのですが、その彼らに対して自分がどのようであるべきかについては関心が向きにくい所があるように思います。

まず子供とどのように接するか、それについてはアドラー心理学でお手伝いできることがたくさんあります。カウンセリングも良いのですが、まずはPassageを参考にしてもらうのが最もお勧めです。

※私自身精神医学の周辺領域であって専門ではありませんが、専門家などとお話しさせていただいた知見も参考にこの記事を作成しています。

※すべての広汎性発達障害やADHDという診断を誤りだと断じるものではありません。過剰診断の横行に対して警戒を促すのが目的です。

 

 

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