劣等感について-アドラー派の視点より-

アドラー派の劣等感とは

 

日常語としても用いられている「劣等感」という言葉ですが、アドラー心理学でもこの言葉を来談者を理解する重要な手がかりとして用いています。

ただし日常語としての「劣等感」とは少々使い方が違うかもしれません。

アドラー自身は用語の定義をあまり厳密にしない人だったらしく、複数の意味合いで劣等感という言葉を用いていました。

通常私たちは人と比べて自分が劣っていると思い、みじめに感じることを劣等感と呼んでいると思います。

しかし現在日本で普及している系統のアドラー心理学でいう「劣等感」は自分の理想に比べて実際の自分が劣っていると感じることを指しています。

さて、劣等感は誰しもが持っているものです。成長を志向する原動力ともなりうるもので、劣等感の存在が不都合なこと、いけないものである、というわけではありません。物事には何事にも二面性がある、ということです。

ではなぜ劣等感が来談者を理解するうえで重要であるのかというと人はその劣等感に対して何らかの反応をする存在であろうと考えるからです。落ち込み

強い劣等感があるのは不快なことです。

ですからこれを軽減するには何らかの手段を用いなくてはなりません。その手段は対人的な環境の中で発揮されるのですから、人間関係の中で何らかの効果を発揮するでしょう。

そしてカウンセラーのもとを訪れるということは劣等感との付き合い方に対してバランスが偏り、その結果来談者は対人関係の中で何らかの不具合を発生させているかもしれない、そう考えられるのです。

ですからアドラー派のカウンセラーは来談者の劣等感とそれをどう補償しようとしているかを重要な情報として注目するのです。

要約すると劣等感は必ずしも悪い事ではありません。人の建設的な行動の動機になるからです。しかしそれが度を越えていたり非現実的であったりすると、それをもとにして起こした行動も偏ったものになるかもしれません。

そのためには自分にどんな劣等感があり、それを補償するためにどんなところを目指してどんな振る舞いに及ぶのか?それは他の人との間でどんな現象を引き起こしているのか、それは望んだことなのか、もしそうでなければどうしたら良いだろうか。

これらを知ることによって対人関係が大きく変化する予感が持てませんか?とても理に適ったシステムだとは思わないでしょうか?共感していればいずれ立ち直る、と説く紳士楽に比べて合理的だと思うのですが。

 

普段カウンセリングの中では劣等感という言葉を用いたりはしていませんが、このメカニズムを念頭にお話しを伺っている訳です。

もう一度言いますが劣等感は誰にでもあるものですし、それ自体悪者ではありません。あまりあなたの劣等感を嫌わないでくださいね。

 

この記事はアドラー心理学の知見をもとに書かれています。

 

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