子供は嘘もつく-カウンセリングの現場から-

特に学校臨床の現場などで多く見られるように思いますが、子供の言い分について学校側と保護者側の見解が一致せず、時に対立的な構造に陥っているのを見ることがあります。

どうしてこんなことが起こるのかというと、校内で指導上話題に上るような子の場合、校内での観察によって学校側が把握した状況と、子供が親に伝える報告が食い違うことが珍しくないからです。

子供の起こしたトラブルについて学校側の観察と保護者が子供から聞き取りした内容に食い違いが生じた場合、

一部の保護者は「自分の子供の言うことを信じます」と言います。

とても立派な発言にも思えるのですが、彼らは子供時代に親に嘘をついたことが無いのだろうか?と私は疑問に思うのです。彼らは子供が本当のことしか言わないと思っているのか?そうでないのならば何を根拠に信じると言っているのか?子供を信じるとは子供の言い分を額面通りに鵜呑みにすることなのだろうか?と。

「子供を信じる」という対応がどんな場面であっても正しい対応である、と無条件に信じている保護者が多々いるのだということは上述したように明らかです。

大人は子供を社会で通用する人間に育てていく責任を負っています。それに照らして「子供を信じる」というのは『子供の言っていることを全て正しいと思う』ことではないと私は考えます。

「子供を信じます」の持つ意味について

 

もう一度確認しますが、大人の責任は子供を社会で通用する人になってもらうことです。

子供を社会で通用する人になってもらう、というのは子供が他者と協力して生活できる人になってもらうことです。

人が行う不適切な行動とは社会との間で非協力的で利己的な行動を行うことであり、大人は子供に対して協力的に社会とかかわる姿勢を育て、そのための技術を伝えていくことです。

そして今は不適切な行動をすることがあっても、わが子は将来立派に社会に通用する人になる、との信念をもって子育てに臨むことが「子供を信じる」の意味だと考えます。

 

表面的な「子供の言うことを信じる」を無条件で受け止めている保護者はどこかで聞いた子供を信じることが大事、というフレーズをそれがどんな条件下で言うべきことなのかを考えずに鵜呑みにしてしまったのでしょう。

しかし保護者がしなくてはならないのは子供が社会に通用する人に育つための指導です。無条件に子供が無謬であると信じることではありません。そのためには子供の言い分を無条件に信じるのではなく、子供を躾け育てるために最も相応しい親の取るべき態度をその都度その都度考えていかなくてはならないのではないかと思うのです。

 

 

ホームへ戻る

Follow me!