効果の見える面接を
前回カウンセリングの効果は「共感」ではない、というお話をさせていただきました。
効果の現れる来談者も中にはいらっしゃるのでしょうが、統計を取ると効果の無い群に埋没して効き目を証明できないだろうと思います。
「癒し」が問題を解決するという嘘
心には形がありません。傷もつきません。上手く機能しないことがあるだけです。
体についた傷のように癒えるものではありません。
社会的なつながりの中でよりよく機能する方法を学ぶことによって困難は軽減します。
この記事で言いたいことはここに集約されています。長文を読むのに抵抗がある方はここで帰ってくださって構いません。
医学との類似で心の不調を語る人もいますが、医学と心理学の想定するそれぞれの不調は全く別なものだと思った方がいいです。神経症的なメカニズムによる不調なのであれば。
アドラー心理学の考えるカウンセリングは問題は個人の心の中にあるのではなく、個人と環境との関わりの持ち方の中にあると考えます。それが上手くいかなければ個人の心の中がもやもやします。でもそのもやもやはただの環境への反応です。個人がいかに自分の内側の中にある悩みであるように語ってですら、そう考えます。そうであるならば個人の心の内側のことばかりを扱うよりも、来談者が環境とのかかわり方をどのように変えていくか、が重要であることになるわけです。
「共感」を重視するカウンセリングでは延々と共感が繰り返され、来談者は気持ちよくはなるかもしれませんが、その中には具体的に問題が解決に向けて進展した自覚できる指標がありません。ただ、この快適さが繰り返されているうちに効果が出てくるんだ、と信じて通うだけです。
実は来談者中心療法をしているカウンセラーですらこれを繰り返すうちに解決するんだ、と信じて繰り返しているだけだと思います。その結果解決する人もいるのでしょうけれど、その背景には失敗した来談者が累々としているのではないのかと私は邪推しています。
このように「こころが癒される」それによって問題が解決する、は効果のあるケースが少数あるのかもしれないことは否定はしませんが、著しく能率が悪くてお金と時間を費やすには値しないだろうと思っています。
カウンセリングは癒しの場ではない
我々がカウンセリングの中でしなくてはならないのは環境とのかかわり方を変えるために自分にできる工夫をすることです。そのために必要ならばカウンセラーからの提案も行うべきです。
そのようにして行われるカウンセリングではその日その日のカウンセリングの中で何か学んだ具体的なこと、日常生活の中での目標の成果が得られます。
カウンセリングは癒しの場ではなく、日常生活の中でどのように振る舞うのが良いか、を相談する作戦会議の場です。作戦は実行されて初めて問題の解決に近づきます。問題が解決するのは面接室の中ではなく、自分が困難に感じていた現場でまさに起こるのです。
手ごたえの無いカウンセリングにいつまでも支払いを延々と続けるのはあまりにもったいないと思います。
目安としては10回カウンセリングをして全く進展がないと感じられる場合、カウンセラーを変えた方が良いと思います。
勿論最終的には来談者の方が最も納得のいく場所でカウンセリングを受けられるのが良いと思います。
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