アドラー心理学
1870年、ウィーンに生まれたアルフレッド・アドラー(Alfred Adler)とその弟子たちによって開発、発展した臨床心理学の体系がアドラー心理学です。アドラーは1902年フロイトの水曜サークルに参加しましたが学説の上から対立し、1911年に袂を分かっています。
そのためかアドラーの心理学をフロイトによる精神分析の亜流と思い込む向きもあるようですが、1914年アドラーが個人心理学と名付けた心理学の体系はそれ以前の深層心理学とは一線を画す特徴をもち、様々な心理療法に大きく影響を与えながら現在に至っています。
我が国では1982年シカゴ・アルフレッド・アドラー研究所に留学された野田俊作先生により紹介、普及されて現在に至る広がりを見せています。
アドラー心理学の特徴
日本ではアドラー心理学の基本前提として以下の5つの項目にまとめています。日本で多数派となっている心理学的な解釈とは全く異なる視点で個人の行動を説明していることに注目して頂けたらと思います。
目的論
人間のする行動には必ずその人がたどり着こうとしている「目的」がある、と考えます。多くの心理学は人間の行動には「原因」がある、と考えます。原因を考える心理学は過去に過ぎ去った「原因」の存在を仮定して観察不可能な話題を展開しますが、「目的」は現在から未来にかけての行動を語ることによって観察することができるのです。人は過去にまかれたゼンマイによって活動しているのではありません。今から将来にかけて自分にとって望ましいと思った場所にたどり着くために積極的、能動的に活動しているのです。
全体論
人の行動や心の働きはいかに対立したり矛盾したりするように見えていても、その背後には一貫した目的にそった活動をしており、そこに向かって心と体、意識と無意識、感情と理性などなど一見正反対に見えるものでも、実際には分業しているのだと考えています。このように人は分割できない全体的で統一的な存在である、というのがアドラー心理学の見解です。無意識、トラウマ、感情、習慣や病気などの個人の一部分であるものが個人全体を支配する、などとは考えないのです。個人がある目的のためにそれらを利用しているのです。
社会統合論
人の行動は周りの人々との複雑な人間関係の網の目の中で決定されています。個人の心の中に存在するなにがしかのメカニズムに一方的に支配されているわけではありません。常に対人的な状況の中でその他の人々とのネットワーク網の動的バランスの中でその時最善と思われる行動を選択しているのです。たとえ無意識的にであってさえ。だからこそ人が所属している集団の中でどのようなかかわり方をしているのかを知ることで個人の行いの意味を明らかにできるのです。
仮想論
私たちは自分の身の回りの世界をありのままに見て取るのではなく、自分の解釈を通して世界を意味づけて体験しています。人間は客観的な世界を知ることはできないのです。私たちは一切の予断なく人間関係の中で起こっていることを理解することはできません。自分のフィルターを介して解釈した人間関係の理解の仕方をするだけです。そしてその解釈の仕方には個人個人の特徴が現れます。つまり人の行動を理解するうえで大切なのは、人がどんなふうに世界を解釈しているのかについて知ることなのです。
個人の主体性
過去のトラウマや親子関係、無意識、感情、本能、コンプレックス・・・etc が人を動かしているという人間観を採用している心理学がありますが、アドラー心理学では個人が目的に向かうために自分に備わっているあらゆる身体的、精神的部分を活用するのだ、と考えます。人は本当は何かに操られているのではなく、いつでも主体的に行動を起こしているのです。自分の身に起こることは誰かのせいではなく、自らの行動の選択の積み重なった結果です。そうであるからこそ、自分がこれまでの行動の癖から抜け出て違う行動をとることによって問題を解決することができるのです。
アドラー心理学という名称について
Individualpsychologieというのがもともとのドイツ語の名称です。それが英語で普及されるにいたりIndividualPsychologyとなり、これを日本語に訳すと個人心理学となります。しかしもともとのドイツ語のIndividualとは分割できないという意味を込めた、つまり心と体、意識と無意識といった人間の持つ一部分に着目するこれまでの心理学とはことなり、分割の機能の寄せ集めとしての個人、部分の総和としての人間という考え方ではなく、統一体として小さな単位に分けることのできない個人という意味合いでした。しかし日本語のニュアンスでは社会に対置しての個人という印象がどうしても強くなってしまいがちです。しかしそれはもともとの意図を離れた不本意なイメージです。
アドラー心理学は個人の行動を他者との結びつきの影響下に強く置かれていることを大前提として成立しているにも関わらず、個人という名称はそれとは正反対の印象を与えているのです。
そのため現在では創始者の名を冠してAdrelianpsychology.アドラー心理学と呼ばれることが一般的となっています。