小学生、中学生の児童、生徒にこころの問題だと思われるような出来事が起こると一部の保護者は子供をつれて心療内科につれて行くことがあります。わが子の身に起きていることを心配し、専門とされる人のもとを訪ねるのは良くわかるのですが往々にしてそれが裏目に出ることがあります。今回はこのような事例について考えてみたいと思います。
心療内科医、精神科医は心理学の専門家ではない
精神科という響きに拒否感を感じる人は多いもので、精神科代わりに心療内科を受診される方は多いものです。ですが精神科医、心療内科医ともに心理学の専門家ではありません。
医師は脳や神経に医学的に働きかける治療をする専門家です。
診察の中で心理学的な内容に触れることもあるのですが、この時しばしば有害な内容を指示することがあり、状況を悪化させていることがあります。患者にとっては医師のいうことですから素直に従わざるを得ませんが、この心理学に踏み込んだ医師の指示は医師の行う精神医学的な指示ほどには妥当性の高いものではないことがとても多いのです。
保護者は医師は専門家だと思っていますので多くの場合、医師の指示に従います。医師の社会的地位はカウンセラーよりも高いと思われていますからなおさらです。医師の診察を受けているのだからカウンセラーに相談する必要がないと判断するのはもっともなことだと思います。
しかしその結果残念な顛末にいたることがあるのです。
医師の指示が不適切な例
心理学的な援助が必要であり、受診をするのが不適切な場合を挙げてみます。
ケース①誤った対応を指示される
親のしつけが上手く行っておらずに甘やかされた子供が不登校をしたとします。不登校に対して医師が不用意にストレスを与えないようにしばらくそっとしておいて下さい、ということがあります。この時子供にしなくてはいけないのは社会的な良識を学んでもらえるように親が学習をし、子供に意識的に工夫して働きかけることです。
そっとしておいたのでは、いつまでたっても必要な社会的態度を身につけることができませんし、子供は、拒絶的な態度をとれば社会的な義務を免れる、という考えを発展させていくことも十分に考えられます。
症状を出す人は傷ついている、という認識が大前提になっているからこのような指示が出されるのだと思いますがその大前提自体が誤っていることも多いのです。
ケース②診断がついたことが症状を助長する
不登校の子は朝起きられないことが多いです。この時に起立性調節障害などの診断がつくことがあります。診断が付けば親は病気なのだと納得し、やはり様子をみながら治療する、という方針にならざるを得ません。しかし医療機関では症状がある人が訪れた際には保険を適用するために何らかの診断名を付けざるを得ない仕組みになっています。それを周りの大人は病名がついたということで子供にかかる負担を一気に軽くしようとします。これによって義務を逃れる大義名分を手に入れた子供はやはりしつけの失敗したままに大人になっていくことがあります。親はこれが心理学的に不健全な状態であるにも関わらず病気なのだから、という対応を続け、ストレスを与えない、排除する、という対応に終始するからです。
確かに起立性調節障害という現象は存在すると思います。しかし子供たちの中には起立性調節障害であるけれども頑張って学校に行く、という選択をする子供もいます。起立性調節障害があったとしても学校に行かない理由としては全く不十分なのですが、診断名が付くと周りの大人は納得してしますのです。
また、この時に朝起きられたら学校にいけるのだろう、と様々な薬物療法が試みられることがありますが、不必要な薬が出されることも良いことだとは思えません。彼らは学校に行かないために無意識的に生活のサイクルをずらして朝起きられないという演出を行っています。朝起きられたら学校に行く、は本末転倒した考え方です。
心療内科医・精神科医が必要なとき
医療機関の受診に対して否定的なことを多く書きましたが、必要なのはそれぞれの専門性を最大に生かすように分業することです。精神科、心療内科が不要であるなどと思っている訳ではありません。
上述した「医者の指示が不適切な例」で書いたような心理学的な援助が中心になる場合、特に子供が受診する際には良くない影響があることはあります。しかしある場合には医師の協力が不可欠です。
投薬による治療を最優先しなくてはならない場合
統合失調症、双極性障害などの精神病がが強く疑われるときには投薬治療や入院が必要になります。このような場合には先ず医療的な対応が何にもまして優先されなければなりません。
子供に幻聴や妄想がみられる、感情の波が激しくて強く落ち込んでいたのにその後極端に活発で陽気だがまとまらない行動のために周りに迷惑をかけて回る、などその内容は様々です。このような場合投薬や場合によっては入院治療が必要となります。ここまで極端であれば心療内科ではなく精神科が適当です。心療内科は内科なのです。
自殺や加害の恐れがあるとき
このような場合は本人を安全な場所において高まる危険を乗り越える必要があります。そのために精神科の閉鎖病棟などへの入院が有効な場合があり得ます。
心理学の技能に優れた医師もいる
医師の多くは心理学の知識や技術について不十分な知識しか持ち合わせていないにも関わらず、それについて語ることで不適切な状況を招いている、ということについてお話をさせて頂きました。もっともすべての医師がそうだというわけではありません。
本来は専門外である心理学について熱心に正しく学び、カウンセラー以上にカウンセリング、心理療法について習熟している医師の先生もいらっしゃることを私も知っています。私の恩師も心理学者である以前に精神科の医師です。
しかし残念なことにそのような医師は全体の中で極めて少数です。そして患者が主治医の言うことが適正かどうかを判断するのは極めて困難なのです。
この状況を理解し、心理学と医学の領域をそれぞれの専門家に相談するのがもっともリスクの少ない対応なのではないでしょうか。
保護者にできることは何か?
問題を正しく認識する
何事もそうですが、何が可能なことで何が不可能なことであるのか、を知る必要があると思います。子供がこころの問題について解決に取り組もうとしないのならば親に直接できることはありません。子供の人生に起こることは子供自身にしか解決できません。親にはそれを手伝うことはできるかもしれませんが、手伝いを拒まれるのであれば直接できることはないと知るべきです。
子供の人生の問題は親の人生の問題ではありません。親が子供の心配をするのは極めて当たり前のことですが、解決しない問題に深刻になるのは非生産的です。
子供とどう向き合い、付き合うかを考える
子供の問題を肩代わりしようとして、子供の人生に介入を繰り返すと、子供と親との関係が険悪になって二次的な問題を生じます。親が子の心配をするのは当然ですが、不毛な介入は断念し、子供と自分の問題を整理し、その上で協力できることを探しながら親子関係を健全に保つことがお勧めです。そのためにカウンセラーの支援を受けることをお勧めします。
専門性の違う専門家を併用する
カウンセラーは日常的にはなじみがないためにどう付き合っていったら良いのかよくわからない方は多いと思います。しかし常日頃私たちは医師とマッサージ師を使い分けて利用しますし、税理士と弁護士にも違う仕事を期待します。
これと同じように医師とカウンセラーはその仕事の内容が違います。このことを理解したうえで必要に応じて使い分けるか併用するのが最も実際的な利用の仕方ではないでしょうか。
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