無料カウンセリングについて

無料でカウンセリングをしている所もあるのに、なぜ有料?

長文の記事です。要点だけかいつまんで知りたい方は赤字の段落だけ読んで閉じて構いません。

カウンセリングは現在公共のサービスを中心として無料で受けられる場所がたくさんあります。例えばスクールカウンセラーは全国の中学校に配置されていますし、東京都では小学校の全校配置も完了、高校にも全校配置するようです。
教育委員会も教育センター、教育研究所など自治体によって名前は違いますが、これも学校と連携しながらカウンセリングのサービスを提供しています。

さらに各自治体ごとに様々なサービスを展開しており、例えば千葉県では男女共同参画推進課がジェンダー別のカウンセリングを提供していて、我孫子市と千葉市で電話・来所相談に対応しています。ハローワークでも最近は就労に関係した話題に対応するカウンセラーを置いている所が多いようです。臨床心理士ではないけれども産業カウンセラーも無料のカウンセリングを提供しているようです。また来談形式でなければいのちの電話をはじめ様々な電話カウンセリングのサービスを展開しています。

来談者のニーズや条件によってすべての無料のカウンセリングが受けられるとは限りませんが、これだけ沢山のカウンセリングが存在している中、どこかに該当する場所があるのではないかと思われます。

これだけ無料のカウンセリングが存在しているので多くの人がカウンセリングは無料で受けられるのが当然との認識ができていてもおかしくはありません。

面接の構造が崩れる

ではなぜ有料のカウンセリングが存在しているのか、成立しうるのか。

カウンセリングには「構造」と言われるカウンセリングを健全に成立させるための重要な条件があります。

どこでカウンセリングをするか(それ以外では会うことは無い)
時間はどうするか(約束した時間だけ)
料金はいくらか(適正な支払いをすること)

無料のカウンセリングではこの条件が成り立たないことになるわけです。つまり健全なカウンセリングであることを脅かす要件になりうるのです。

そのせいか、現場での治療成績はあまり良くないように思います。困っていることが無くなったので終了、ということは度々あるのですが、観察していると状況が変化して困りごとが無くなっただけでカウンセラーの専門性が寄与した終結はそれほど見かけないように思います。

カウンセリングはカウンセラーと来談者の共同作業です。カウンセラーが一方的に役割を果たせばカウンセリングが良いものになるわけではありません。二人の協力の成果なのです。つまりここでは来談者にも来談者の役割を果たすことが求められます。カウンセリングには契約が伴います。それは初めてカウンセリングに臨もうという方にとってはもしかすると多少のハードルになるかもしれません。そこを僅かな勇気とともに乗り越える決心が付いたかどうかという点がカウンセリングを受ける準備ができているかどうかを判断する一つの目安になります。

そのハードルの中には料金の支払いも含まれますし、キャンセルする場合の手続きを守ることだったり、時間や場所の約束ごとだったりします。
無料のカウンセリングを希望される方は普通そのような決心の無いままにいらっしゃいます。身が引き締まらない状態でカウンセリングに臨むことになるのです。このことがカウンセリングの成功率を下げます。アドラー心理学以外の流派で言っていることですが、面接を受けに来ただけで問題の50%が改善している、という研究をしている人たちがいます。面接に来る決心をする過程がどれほど大切なものであるのかをよく言い表しているのではないでしょうか。

カウンセリング自体もチープになってしまう

無料のカウンセリングはタダでいいですよね。でも支払いをしなくていいものとは価値が乏しいものです。支払いをすることで支払った分身を入れて頑張る気になるものです。誰しももとは取りたいですから。しかし無料のカウンセリングではこのような心構えがあやふやになってしまいがちです。カウンセリングは厳しい行動の選択をしなくてはならない場合もありますが「そんな面倒なことまでわざわざしたくないし・・」と言って容易に逃げる気になれるのが無料のカウンセリングです。カウンセリングの効果が現れにくくなるといってもいいでしょう。カウンセリングの中には宿題を出される類のものがありますが、以前「なんで宿題なんてしなくちゃいけないんだ」と言ってカウンセリングをやめてしまった人がいました。私のクライアントではありませんでしたけど。誰のためのカウンセリングであるのかすらもはや見失ってしまっていますね。無料のカウンセリングはクライアントが無責任になりやすくなるのです。カウンセリング自体を軽んじる元になります。カウンセリングの効果をディスカウントします。勿論無料のカウンセリングでもモチベーションをしっかりと持ってきちんと利用されて解決していらっしゃる方もいらっしゃいます。

相談に来る方はこのように無料であることと有料であることがカウンセリングの質を左右することなど知りませんから無料のその他のサービスと同じように同じような水準のサービスを得られると思うのでしょう。

また、悩みごと困りごとを人に話す、というのは友達や親しい誰かに打ち明け話をして受け止めてもらえたり、聞き手の考えるアドバイスをもらったり、慰めてもらったり、励ましてもらったり、ということをすぐに思い浮かべるのではないでしょうか。このようなことをしてもらうのにお金を払う、というのは我が国ではものすごく不自然なことに感じられるのではないでしょうか。

しかし同じ話すという行為でも弁護士に相談してお金を払うのに違和感を持つ人は珍しいでしょう。それは法律知識という専門性を評価しているからです。
しかし実際にはカウンセラーは極めて専門的なアドバイスを行うことができます。そのことについての理解が広まっていない、ということがあるように思います。実際にただ話を優しく聴いていれば来談者はいつか自ら洞察して問題が解決する、という薄い根拠しかもたないカウンセラーが存在していることもこのような印象に拍車をかけているのでしょう。

カウンセリングは効かない、という意見も世の中にはあります。確かにほとんど効果のない流派のカウンセリングも存在します。このような効果のないものならダメでもともと、タダなら受けても構わない、という発想に容易につながるでしょう。しかし下手なカウンセラー、効果のないカウンセリング学派が日本では生きながらえるという現象を支えている理由の一つはこの無料のカウンセリングがあると言えます。詳しい理由は後述。

良心に目をつぶらなくてはいけない場合も

また、無料の施設で働くカウンセラーは当然給与支払者の意向を無視したカウンセリングを提供することができません。カウンセラーの動きがスポンサーの制約を受けるため、必ずしも最も適切な対応を約束できないことが起こりえます。
例えばあるスクールカウンセラーが相談を行う過程で「あなたは学校に行っちゃだめ」といったことがあったそうです。私には背景はわからないし、本当にこんなことを言わなくてはならない状況だったのかも知りませんが、カウンセリング上ではあり得たかもしれない判断が学校を背景に持っているがために全否定されてしまったのです。学校で勤務しているのに来てはならないとは何事か、と教育委員会は言わざるを得ないでしょう。しかしそれは来談者のためにカウンセラーは最善の助言をしたために起こっているはずのことなのです。

スポンサーのためにカウンセリングする、ということにはなりたくないものです。

某職能団体の現状放置

さて上述した面接の構造についてですが、カウンセリングを学ぶものは潜りでもなければ知っているはずのことです。そしてこれを破ることは面接上望ましい事ではないこともみんな承知しています。そして多くのカウンセラーが無料のカウンセリングの提供がよくない事だと思っています。
しかしカウンセラーに強く影響力を及ぼす某巨大団体がこのことを知らないふりをしているのか正当化しているのか知りませんが、野放しにしています。おそらく面と向かって尋ねたら「社会のニーズが発展して心理面接の形態もそれに応じる形で進歩した」という類の回答をするのではないかと思うのですが私は詭弁だと思います。

日本ではカウンセリングが専門家として居場所を見つけていくのは大変なことでした。専門家に心のことを有料で相談する、という文化が定着しづらかったのも確かだと思います。そのせいもあるのでしょう。社会的に進出することを最優先としたのか、無料の施設にカウンセラーを置くことを積極的に後押ししたのです。このことも現在の無料カウンセリングの蔓延を加速させました。

無料のカウンセリングが蔓延していることで起こっている弊害

無料のカウンセリング提供施設があるということはそこのカウンセラーには税金で支払いがなされているということです。そうすると下手なカウンセラーが効果の無いカウンセリングを提供していてもだめでもともとと思われていて、淘汰されるということがありません。カウンセラーが自分の趣味的な流派選びを優先にしてカウンセリングの効果の有無に真剣に向き合わないからです。その結果来談者も低質なカウンセリングしか受けられない、という悪循環が発生しています。

カウンセラーの人件費もバカになりません。某自治体のスクールカウンセラーは1か月3億円ほどかかるらしいです。統計的にもスクールカウンセラーは効果がある、と言っていますが公務員の現場での統計は身内が身内を測定するので大分かさ増しされています。効果はあると思いますが、そのために3億も払うのは明らかに払い過ぎだと思います。効果はあったとしても費用対効果が悪すぎです。

また、その結果効果的なカウンセリング文化が育たない、ということにもなっています。無駄なカウンセリング技法を何も知らないカウンセリングの卵に供給することで経済的な恩恵を受ける人々もたくさんいるのです。

上記のことを踏まえて無料のカウンセリングは質は概してよろしくは無いと言えますし、無料のカウンセリングを経験してカウンセリングはこんなものだと思われるのも良い影響とは言えません。勿論有料のカウンセラーがみんな上手だということにはなりませんが。

無料のカウンセリングを活用されたいと望んでいる方はこのようなことを覚えておかれると良いかもしれません。

私は無料の場所での相談所で働くのはカウンセリング文化の健全な発展を阻害しかねないことだと思うのでできるだけ避けたいと思っています。カウンセリング文化の破壊のみならず、受けているサービスに対価を支払わなくて当然という意識を人々に定着させるような行いは道徳も退廃させていると考えます。

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