不登校のカウンセリングー親の立場から・その2ー

前回の要点

不登校という問題は実は二つの要素から成り立っていることに気が付いていただけるでしょう。

A.子供が学校に行っていないし、何かつらいことがあって苦しげである。
B.親が学校に行っていない子を見ると子供の将来のことなどが案じられて不安に駆られる。

この二つは全く別の問題です。カウンセリングで話し合って効果が確実に見込めるのは自分に直接関係のある問題だけです。この場合はBがそれに当たります。しかし親はAに問題意識を集中させているでしょう。ですから問題は誤った公式をあてはめられているということになります。

以上前回記事より引用

不登校の背後に潜むもの

では前回記事をお読みいただいていることを前提にお話を続けます。

Bの課題が親が引き受けるべきことである、ということを理解して頂けたらAについて考える準備ができているかもしれません。

Aの課題では子供が学校に行っていない、という見せかけのことはとりあえず置いておいて、「何かつらいことがあって苦しげである」に関心をむけます。例文は「つらいこと」「苦しげ」と書きましたが、実際にはどんな状況が当てはまるかわかりませんのでただの例であることをご理解ください。つらそうに見えずに無気力に見えるかもしれませんし、苦しげではなく、のんきにゲーム三昧かもしれませんが、本質的なことではありません。念のため。

話が少し脇道にそれますが、中1ギャップ、小1クライシス、と言われる現象があるのをご存知でしょうか。進学を契機につまづく子供が多々いるのでこのように名づけられています。多くの人は進学時の環境の変化を原因として挙げるだろうと思うのですが、私たちは子供が次のステージに準備されていないから起こることであり、不登校などに顕在化して多くの人は初めて気が付きますが、実はそれ以前からすでに不適切な状況があったことが考えられます。不登校記事教室

不登校についても似たようなもので、学校に行かなくなった直前に問題が発生していたと思う人は多いと思いますが、実際には不登校に至るまでの間に何らかの不都合があったと推定されます。勿論様々な不登校がありますので該当しないケースはいくらでもあると思いますが、おおむね長期化している場合は当てはまることが多いように思います。学校に行かない、という顕在化している状況の背後にはこのような仕組みが隠れていると思われます。

「勇気」を持つことについて

アドラー心理学の中で「勇気」という単語をしばしば使います。日常の言葉として使う勇気という単語とは少し意味合いが異なり、日常のことを真面目に取り組み、他者と協力しながら自分にできる貢献をして暮らし続けようとする意思を持ち続けること、と言えばいいでしょうか。何も特別な決心とともに危険なことにまい進することではないのです。ですからアドラー心理学のいう所のいう「勇気」を持ち合わせている人は特別な人には見えないことでしょう。

このような不登校をする子供の心の中には何らかの不都合があると推定すると先に書きましたが、それは我々の言葉遣いでいう所の「勇気」が何らかの事情でくじけてしまって、日々の生活から尻ごみをしているのだと思います。そして自分が所属していた生活の場に居場所を失ったと感じているのだと思います。

ですから我々にはこのような子供たちに対して「勇気」を持てるように、所属を回復できるように援助していかなくてはならないのです。アドラー心理学ではそのように「すべきこと」に向かって責任を果たすべく取り組むように援助することを「勇気づけ」という言葉で呼びます。

私たちは不登校児童、生徒に限らず「すべきこと」に向かって家族を勇気づけ自分を勇気づけて暮らしていきたいのです。そしてそのためのに親がどう子供を勇気づけるのか、という相談でカウンセリングを行うことができるのです。

この記事はアドラー心理学の知見に基づいて書かれています。

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