「勇気」をしつける-アドラーの子育て-

「勇気」のある子供を育てたい

 

アドラー心理学の中で大切にされている「勇気」について語ってみたいと思います。

おそらく一般的には勇気という言葉から 勇敢 であること、を印象されるかもしれません。

しかしアドラー心理学では「勇気」という言葉を一見些細な出来事に見える行動の中に求めるのです。そして社会では「勇気」ある行動と思われているものが私たちの定義では「勇気」の無い人の行動であることさえあるかもしれません。

「勇気」はまさに健康に社会の中で生きていくために欠かせないものです。人生の問題の殆どが多かれ少なかれ「勇気」が不足しているところから起こります。

 

アドラー派の考える「勇気」とは

私たちが生活するうえで他者との関係は欠かすことのできないものです。

この他者・社会との関係をどのようにするべきであるのか、大きく分けて二つの生き方があると思います。

「協力」して生きるか、「競合」して生きるか、です。

 

「協力」して生きる道をその時々の分岐点で選ぼうという選択、行為を持つことを「勇気」というのです。人々と「協力」して暮らすためには社会に「貢献」すること、自身を「信頼」すること、が元になっています。

「勇気」とはそのために自分の利害を離れて全体のことを考えて判断し、行動することの母できる、子育てや教育といった力によって培われた資質です。ですから子育てや教育をおざなりにすると人間はきっと本能的に、利己的に、つまり極論すると動物寄りの行動を発達させやすくなるでしょう。このような自己の利害に固執した態度を「勇気」の反対の言葉「自己執着」と呼んでいます。

もちろん「勇気」が完成する日は来ません。ただ私たちは自分が置かれている状況下で自分に何が求められているか、何ができるのか、と問いかけてそのつど自分をその方向に動かすよう努めます。そのように自分を導くこと、人にそのように導くことをエンカレッジメントと呼んでいます。

このように社会の制度を変えれば人々が幸せになれるのではなく、一人ひとりの意識の持ち方がかわり、その人たちの人口が多くなればそれに比例して住みよい世の中になるだろうと思います。

私たちは子供に「勇気」をもって生活する子を育てたいのです。
それは結果的に私たちの子供を幸せにもします。こちらの記事でもご紹介していることなので詳細にはここでは触れません。

 

もちろん完ぺきに理想的な状況が現れるとは思いません。

それに比べて「自己執着」が極まったような社会は日本のすぐ隣に存在しています。

我が国をそのような国にしてはならないのです。

「自己執着」家庭が増えれば増えるほど社会は「自己執着」の度合いを増します。私たちの社会は小は家庭から大は国家まで「協力」して生きるか「自己執着」を取るか選ぶことができるのです。

 

「勇気」のある子育てをしたい

「勇気」ある子を育てたいと思ったら、まず親が「勇気」をもって生きる努力をする姿を子供に見せなくてはなりません。実行が伴わないのに口でばかり良いことをいう子育ては全く効果が無いばかりか、やらなくても口ではいいことを言えばいい、ということを子供に学ばせてしまいかねません。

ですから親の実践が必要です。

その上で絶えず子供を「勇気づけ」(エンカレッジメントのことを日本ではこのように翻訳しています)て暮らす決心をし、その技術を学ばなくてはなりません。

それは子供の短所ではなく長所に注目することであったり、相談することであったり、子供の判断に任せたり、失敗を経験してもらうことだったり、とここにあげた以外にも多くのかかわり方を知り、実践できるようにトレーニングし、仲間を作って絶えず点検し相談することです。

アドラー心理学はアドラー子育ての共同体の育成に関心が高いのですが、それは親、多くの場合はお母さんがアドラーの子育てを学んでくれることで少しでも世の中がより「勇気」に満ちた場所になっていくとの強い信念があるからです。

アドラーの子育てはPassageで学ぶことができます。

Passageは柏や流山など千葉県内で開催されることも多いですし、関東ではこちらでご覧いただけるように多くのフォローアップグループが活動しています。

それでは皆さんとお目にかかれることを楽しみにしています。

 

 

ホームへ戻る