先日、小学校5年生の担任と話をしていて「いまだに自分の名前も平仮名で済まそうとする子がいて」という話になりました。
担任がいうにはとても横着な子で漢字を知らない訳ではなく、書こうと思えば書けるし、頭も悪くはない、というのです。
だからでしょう。
私が検査を受けた方が良い、というと驚き、その後戸惑っていました。
学校の先生は、うちの子はまったくもって問題なし、ただめんどくさがりなだけ、と思い込んでいる親に「検査してみては」だなんて中々いえるはずはないのです。
しかし今指摘してくれないと将来にわたって指摘してくれる人はいないし・・・
今話題に上がっている子が「面倒くさがりである」という評価はそうなのでしょう。
ただ私が注目したのは圧倒的大多数の子供が普通に身に着ける漢字の普段使いを面倒くさがらなくてはならない、基本的な書字能力の低さが疑われること、です。
検査して何もなければそれに越したことはないのです。ただ残念なことに検査を検討することに対して保護者がいい印象を持ちはしないのは仕方がないとして、ケチをつけられる、ことと区別できずに感情して対応される方も珍しくはないため、先生方には思案のしどころとなるでしょう。
保護者が驚いたり、悲しんだり、怒ったりする、そのことが簡単に予測できるので担任は自分でも強い確信が持てないとなかなか保護者に検査の有用性を指摘することができません。
ましてやこのような問題が軽く見える場合、心理学について素人である担任には検査を要する事態だと思うことも難しいでしょう。
私も絶対に問題がある、とまでは言い切れません。しかし確率的にはかなり高いだろうと思っています。知能検査を受けたら視覚と微細運動を協応させる能力に平均以下の機能が認められるだろう、との予測が立ちます。漢字そのものは理解しているとの担任の報告を信じるならば書字障害ではなさそうです。
人間の持つ様々な能力は皆得手不得手があるもので、このようなことも全然珍しいことではありません。このまま大人になってもやっていけるだろう、とも考えています。他に問題が無いと仮定して。
それでも検査を受けることで自分の特徴を知っていればこの先何かを決めたり選んだりする際に自分自身についての情報を計算に入れて考えることが可能となります。わざわざ苦手であることがわかっているものを一つづつ試さなくてもあらかじめ予測を立てることが可能になります。
自分自身の取扱説明書が詳しくなるのは便利なことに違いありません。
またこのような特徴は自閉症やADHDなどとはことなり、周りが対応を迫られないため目立ちませんし個性の1つとして受け流されて見つけてもらうことが非常に難しくなります。場合によっては大人になってからの適応状態に問題が生じても、なぜ自分は人と同じように作業することができないのか、と苦悩する場合すらあり得ます。
また、たとえ検査を受けることができたとしても「ここが弱いですね」という指摘を受ける程度で済まされてしまうことも多いように思います。
専門家ですら実はあまり語る言葉を持っていない対象であるからです。
文が長くなるので他に譲りますが、子供の学習や能力面のことに違和感を感じたらその「あれ?」と思った感覚を大切にしてください。
子供の特徴をなんとなく、で見過ごしてしまうより、違和感を見つめ続けられれば、必要を感じた時に助けを求めることができますから。
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